諸説あります
飯間浩明さんによる 2019-01-13 のツイート。
上記ツイートを引用している 2023-01-22 の記事。
「諸説がある」というからには、その全てでないにしろ「複数の説があり、そのことを認識している」ということを含意するのであり、そうであれば、具体的にどういう説があり、その中からなぜとりわけその説を選んだのか、なぜ他の説ではダメなのかを説明してこそ初めて誠意があると言える。それができないのであれば、はなから「諸説あります」などと言うべきではない。とりあえず最後につけておけばテキトーな発言をしても言い訳になるであろう、と言うのはむしろ最悪な態度であると思う。 「ゆる言語学ラジオ」に望むこと、あるいは望まないこと|ご|note
「諸説あります」をむやみに使わない方がいい、ってのは考えたことがなかった。だけれども、言われてみればたしかにそうだよなあ、と思った。「これを言っておけば許される感」というか、免罪符的になんとなく普及してしまったミームという印象を持つに至った。
同種のフレーズには
があると感じていて、もちろん文脈次第ではあるが、ぼくが見聞きするケースでは多くの場合において「相手」よりも「自分」のために置いてあるように思える。あるいは、とりあえず置いてあるように思える。
- しっかりと調べる気もないから「諸説あります」を置いておく
- 今後も突然の連絡を止めるつもりもないし並行して何人にも連絡しているが「突然の連絡で失礼いたします」を置いておく
- ここから文を精査して整えて短くすることもできないから「長文乱文で失礼いたしました」を添えておく
こういう雑な使われ方だとしたら、いっそ言わない方がいいってことがありそうだ。忍法・ニセ真面目。