迷惑って、なんだっけ?

というテーマで複数人でわいわいやる機会があって楽しかった。自分の考えたことをメモしていく。

前提になりそう

  • 加害はよくない
  • 他者の権利を侵害するのはよくない
  • 明確な加害権利侵害ではないが、よくないっぽいやつが迷惑と呼ばれていたりするのかな

迷惑の定義

  • ここではいったん「他者になんらかの影響を与え得ること」くらいの広めの定義を置いておこかな
  • その影響が相手にとってネガティブなものだと迷惑とラベリングされることが増えそう

戦略として

  • ぼくは「迷惑最小化」の方針を採用しない
    • もし自分から他者への迷惑を最小化しようと思ったら「今すぐにこの命を終わらせる」が最適解になる
  • 他者と関わり合うことで、なにかすてきなものがたくさん生まれると経験的に知っているから
  • 迷惑 1 を回避するために、すてきなこと 100 をあきらめるのはバランスが悪いと考えている
    • 持ちつ持たれつで「出会えてよかった」「いっしょにこれをやれてうれしかった」になるのを目指している
  • (12) 関わり合うことをおそれずに - 純朴声活 - LISTEN で、そういうことを話した

[https://open.spotify.com/episode/61PgCQNkf7R2Yh9W4yG4OC

ぼくの日々

  • 「誰かに迷惑をかけられている」と感じることが、ぜんぜんない気がする🤔
  • カウントダウン生活を始めてから東京都内よりも人口密度が低いところで暮らしていて、そのおかげもあるかな
  • 妻が夜中に騒いでいて睡眠を妨げられたときは「困るからやめてほしい」と相談して解決に至った
    • これは「迷惑」に分類できる影響だったかもしれない
    • 妻との間でお互いにちょっとした迷惑を発生させることはあるか
  • 家の外だと、やっぱりあまり迷惑を感じることはないかもなあ
    • ぼくは、いっしょにいることに困難を感じる相手とはすぐに距離を置くので、迷惑を事前回避しているのかも

頼みごとと迷惑

  • 「他者になにかを頼むのが苦手」「うまく他人を頼れない」的な言説について
  • これは「頼まれたら断れない」と裏表の関係になっていそうな気もする
  • ぼくは「無理なとき・やりたくないときは断る」というスタンスを貫くことによって、相手からの頼みごとを「迷惑」に分類せずに済むようにしているつもり
    • もしぼくが自分で断ることをせず、我慢しながら引き受けたりしていると「こっちの迷惑も考えずに、なんでも頼んできやがって!」と迷惑状態を発生させてしまいそう
  • 無理なことは無理、やりたくないことはやりたくない、という自己主張アサーションが欠如した状況だと、頼む側が相手のキャパシティを推し量ってから依頼しなきゃいけなくなるので「これは迷惑になるかも…」という足踏みが起きやすくなりそう

合理的調整と、ベターな選択肢

  • ぼくが観測している範囲において、この社会の「合理的調整」のキャパシティがもっと増えたらいいな、と思っている
  • 自身と他者、それぞれが「なにを迷惑と感じるか」に差異がある状態で、お互いの手札をオープンにせずに「迷惑を回避しよう」と思ったら、そりゃあかなり安全側に倒した判断になる
  • 逆に「わたしはこれがイヤだけどこれは平気です」をお互いに共有できれば「じゃあ、こうすれば双方が快適ですね」とベターな選択肢に到達できる率は上がるはず
  • 「一律に、これはオッケー、これはダメ、って決まっていてほしい!」という人の気持ちはわかる、楽だもんね
    • でも現実を鑑みると、個々の差異を認めて合理的調整スキルを高める方が自分の人生にとって有益だと思う
  • ほんで、自分の感覚空間の中では「合理的調整」と「迷惑」はかなり遠い位置にあって、話し合って「こうしましょうか〜」と考えているときに迷惑が云々とかまったく感じていない

余裕と迷惑

  • 余裕がない状態では、他者のあれこれを「迷惑!」と感じやすいってのは、まあありそう
  • 余裕っていうのは、精神的余裕時間的余裕空間的余裕経済的余裕、いろいろあるはず
  • そんなときに必要なのは「迷惑をかけないように」という標語よりも、その人の余裕を増やしてあげられるようなまともな対策だよな、と思っている

思いやりと迷惑

  • ぼく自身が「相手の気持ちを想像して理解する」にまったく自信がないので「相手の気持ちを考えよう」的なトピックについては、ぜんぜん深堀りできていない感覚
  • 「相手の気持ちを考えよう」よりは「相手の気持ちを確認しよう」を実践していて、なんとかうまくやっていきたい
  • 考えてうまくやれる人はそれでいいと思うし、うらやましいとも思っている

迷惑をかけてはいけない、の刷り込みについて

  • この刷り込みをやればやるほど、社会の自助への期待が増して共助が減っていく、と認識している
  • ぼくは「この先 20 年間のスパンで見れば、今よりも共助を増やして社会全体のリソース効率を高めた方がいい」と考えているので、今の状況においては、この刷り込みはメリットよりもデメリットの方が大きいと考えている
  • あと「いま迷惑を気にしている人は、より気にするようになる」が「いま気にしていない人は、言われても気にしないまま」とも思っていて、しんどい人がよりしんどくなる方向に作用しそうなのが心配
  • 「迷惑をかけるな」よりは「アサーション対話のスキルを身に着けよう」を流布するつもり

チームと迷惑

  • お仕事の現場なんかで、チームの仲間から「ご迷惑をおかけします」と言われてギョッとしたことが何度かある
  • 「それ手作業でやるつもりでしたか?ソフトウェア・エンジニアに任せてもらえたらスクリプトでシュッと済ませられると思うので、やりましょうか?」と進言したら、相手から「ご迷惑を〜」って返ってくる、みたいな
    • 「個々人のリソースの奪い合い」と捉えるか「チームのリソースの有効活用」と捉えるか、の違いが背景にある?
  • サッカーで考えてみると、ぼくがフォワードだとして「前線にボールがいったばっかりに、フォワードさんが走ることになっちゃってすみません」と言われているような感覚
    • そのためにフィールドに立っているし、そのために研鑽してきたんで、役割を無碍にしないでほしいと思う