書籍『13歳からのアート思考』を読んだ
『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』が書名だと思うが、日記なんかでは『13歳からのアート思考』という呼び方をすることもありそうなのでこのリンクも導入しておく。
いま、あなたは「絵を見ていた時間」と、その下の「解説文を読んでいた時間」、どちらのほうが長かったですか?
「どこからそう思う?(意見に対して事実を聞く)」「そこからどう思う?(事実に対して意見を聞く)」の質問も組み合わせることで、気づきをさらに深めていきます。
アウトプット鑑賞。「どこからそう思う?」「そこからどう思う?」のふたつの問いかけは強力だ。
「授業を受けたら、アートというものがわからなくなってしまった。ただ、もっと考えてみたいと思いはじめた」(高1)
アンリ・マティス《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》 Henri Matisse / Portrait of Madame Matisse (The Green Line) パブロ・ピカソ《アビニヨンの娘たち》 Pablo Picasso / Les Demoiselles d’Avignon ワシリー・カンディンスキー《コンポジションⅦ》 Wassily Kandinsky / Composition VII マルセル・デュシャン《泉》 Marcel Duchamp / Fountain ジャクソン・ポロック《ナンバー1A》 Jackson Pollock / Number 1A アンディー・ウォーホル《ブリロ・ボックス》 Andy Warhol / Brillo Box
以下、佐宗邦威さんが書かれた解説からの引用。
2019年末、僕は兵庫教育大学附属小学校で、生徒たち一人ひとりにビジョンを描いてもらう「未来デザイン」という授業を担当させていただいたが、正直なところ、ここ数年で最も大きな未来への希望を感じることができた。授業では「小さいころ、何が好きだったか」「3年間、100億円を自由に使えたら何がしたいか」などをペアごとにインタビューしてもらい、そこから「自分のつくりたい世界」をレゴや絵で表現してもらった。これに参加した6年生の生徒の感想を紹介しよう。
小学校低学年くらいまでは、自由に感じ、自由に表現ができていた子どもたちも、高学年に差し掛かると、自我が高まり社会性を帯びることで、自分と向き合う機会が減っていく。さらに、塾に行ったり、中学受験をしたりすれば、子どもたちは一気に「創造モード」を捨て去ることになりかねない。
美術だけじゃなく、体育や音楽についても似たような問題意識がある。幼少期は、ただ楽しくてクレヨンを振ったり紙を切ったり貼ったり、走ったり登ったり、歌ったり踊ったりしていたはずなのに。それを「見て〜」と周囲に伝えたりしていたはずなのに。いつからか少しずつ「楽しくて」「楽しいから」という動機は軽視されるようになっていく、ような。
- ◯◯は上手な人がやるもの、自分は下手だからやらない
- 自分が◯◯をやっても仕事になるわけでもないし、将来の役に立つわけでもないし
- 自分は◯◯のことを好きだけど、もっと詳しい人はいっぱいいるし
ぼくもきっと、こういう思考に飲まれていたと思う。年齢が 30 代後半になってようやく、周囲に、純粋な楽しみのために楽器やバンドをやる人、運動をする人、作品をつくる人、なんかが次々に現れて、そうだよな、これでいいんだよな、と思い出せたような感覚。「いい年して」みたいな呪いの言葉に抗っていきたい。ぼくの Joy of Life をいちばん増やせるのはぼくだもんな。おのれのうちなる声に耳を傾けていくぜ。