誰かになにかをやらされているって思いたくない
自分はそういう意識が強いのではないか、と。妻と話していてそう感じるようになってきた。なんなんですかね。「おれの人生の運転席に座るのはおれだぜ!」という強い自我が内在している感覚。
- お仕事において頼み事を引き受けるとき、なるべく早い段階で意義を確認したがる
- 作業について「なぜこれを?」と問われたときに「◯◯さんに頼まれたから」と答えることを潔しとしない
- 事の起こりが「頼まれる」だとしても、その上で「おれはこういう意義を感じたから、やるぜ」と自分を通しなおすし、意義を感じられないものはそこでフィルタして引き受けない
- (ネガティブな文脈では、特に)自身を「◯◯された人」と位置づけたくない、という気持ちがある
- 待ち合わせに相手が遅れてくることになって、たとえば 30 分間の待ち時間が発生したとして
- その時間を「待たされている時間」と認識したがらない
- 読みたい本の 1 冊や 2 冊は常にストックしてあるので「本を読む時間」のようにして過ごす
- その時間がちゃんと自分にとって楽しい時間になるように、やれることを最大限やる
- 「お前のせいでおれの 30 分間が!」とは思わないし、思いたくもないね
もうちょっと肩の力を抜いて流れに身を任せて生きた方が生きやすい気はする。といっても、別に流れに逆らうように生きているわけではないか。流れに乗るにしても「おれはこの流れに乗るぞ」と意志を添えているだけで。
なんとなく「主人公症候群」というフレーズが浮かんだので調べてみたら、これは既知の文字列で、ぼくがこのページに書いたこととは違うものを指しているっぽい。
あなたは大丈夫? SNSユーザーが陥りがちな「主人公症候群」とは
『ゴールデンカムイ』の 21 巻より