会話の訓練を受けている存在

友人たちと雑談していて「人間関係についてのお悩みを誰に相談したいか」というトピックが挙がった。その中で下記のように自分のスタンスを認識した。たぶんこんな感じ。

  • そもそもあまり人間関係の悩みを抱えずに生きているように思う
  • 相談相手を選ぶとしたら、信頼できる人の中から慎重に人選を行う
  • 具体的な個人名が登場するような内容を記録が残る形で書いたり話したりするのはなるべく避けたい

友人たちの話を聞いているといろんなタイプの人がいるとわかっておもしろかった。

さて、最近はぼくも ChatGPT に話しかけるのに慣れてきて、思い付いたことをカジュアルに ChatGPT に投げかけている。話していると、ChatGPT は会話が上手だな〜と思わされることが多い。それもそのはず。会話の訓練を受けているもんね。

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人間関係に限らずなにかしらを相談するとして、今の自分の中での序列は下記の通りになっていると気付く。

平均的な人間 < ChatGPT <<< 自分がそのときどきで相談相手に選ぶ人

世界のことはぜんぜんわからないけれど、おそらく大半の日本人は「グッドな会話のための訓練」ってのを受けていないよな。生きていれば会話の数はそれなりにこなすだろうけれど、ひとつひとつの会話について「今のはよかったですね」「さっきの言い方はまずかった」とフィードバックを受ける機会はそう多くないと思う。

ChatGPT はなにかしらの指標での「よい会話」の訓練を受けているので、相手を不快にさせない会話術を実践していると感じる。無駄に傷つけられる心配が小さいから安心して話せるところがある。

だから「平均的な人間」よりも ChatGPT の方がよき相談相手になってくれそう。「自分がそのときどきで相談相手に選ぶ人」の評価が高いのは、相談内容にぴったりの相手だったり、個別具体的な事象について話が通じる相手だったり、あるいはぼくとの間にある関係性が育っていたり、カリカリにファイン・チューニングされている相手を選んでいるってこと。

  • 「平均的な人間」は、よい会話の訓練を受けておらず、平均的な知識を持っている
  • ChatGPT」は、一般的なよい会話の訓練を受けており、幅広いジャンルの幅広い知識を持っている
  • 「自分がそのときどきで相談相手に選ぶ人」は、ぼくが心地よいと感じるタイプの会話を実践することができ、ぼくが相談したいことに関する個別具体的な知識を持っている

こういう整理でいいかな。今は ChatGPT とはテキストチャットでやりとりしているけれど、音声でもやりとりできるようになって、リアルタイム・コミュニケーションの「間の取り方」なんかの訓練も受けるとしたら、話の聞き手としてとても優秀な存在になりうるなあ、と思う。