失礼だと思うことはしない

とても当たり前のことをあらためて言うようだけど「こんなことをしたら失礼だよな」と感じるようなことはしない方がいいと思う。失礼なことをしたら相手から自分への評価は下がるだろうし、場合によっては殴られたりすると思う。

ところで、自分が釧路高専に通っていた頃、教官の部屋に入るときには「失礼します」と発言してから入室していた覚えがある。しかし、今にして思うと、用事があって教官に会いに行っているだけなのだから失礼なことはなにひとつないし、今の自分なら「大和田です〜」とか「入りま〜す」とか元気に言いながら入っていくと思う。

一般論として X じゃないものに X って言わない方がいいんだから (醤油に対して「塩!」って言わないもんね) 失礼じゃない行為に対して「失礼します」「失礼しました」って言わない方がいい気がする。

さっきの入室の話でいうと、次のような整理になる。

  • 入室は失礼だと思うなら
    • 相手の気分を害すと考えて、入室しない方がいい
  • 入室は失礼なことじゃないと思うなら
    • 「失礼します」って言わなくていい

「失礼しました」は、自分の意図に反して礼を失してしまったときに謝罪の言葉として出てくることがあるだろうから、まだ理解できるとして。「失礼します」という宣言は「私は今から悪いことをします」みたいな感じだから、よくわからん表現だな〜と思った。日本語文化圏においていつ頃から使われている表現なのだろうねぇ。

「失礼します」の日本語に込められた深い真意 | アルファポリス | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

上記記事は読んでみたけど、よくわからなかった。

というわけで、当面の自分の行動の指針としては「失礼だと思うことはしない」「失礼じゃないことを失礼ってことにしない」でやってみることにした。


「失礼します」に関するネガティブな体験を思い出したのであわせて書いておく。

以前、不定期でメールを送ってくる相手がいて、たしか 5 回くらい連続で「長文で失礼します」から始まるメールが送られてきて。中身は言うほど長文じゃなかったんだけどそれは別の話だから置いておくとして、もし長文を送るのが失礼だと思うなら、次からもっと短くしてほしいと思ったのだった。「言っているだけ感」があってイヤだったんだよなあ。

これは定型句コミュニケーションに対する苦手意識の話か。

敬語のナルシシズムの話をたどると、明治時代にこの手のコミュニケーション様式が普及したのかもしれない。