かわいそみを自分の最大のアイデンティティにしない
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ぼくの人生観のひとつと言えそう
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まわりからみて「それは大変ですね」「大変でしたね」となるようなことは、誰しも多かれ少なかれあると思う
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そういう大変なことを掲げてそれを自分のアイデンティティにする、ってのは自分としてはナシってことにしている
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配偶者がどうとか、職場がどうとか、そういう愚痴で目立つ人になりたい気持ちがない
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「いつも楽しそうにしている人」と見られるような人生にしたいので、そこを目指す上で愚痴は毒になってしまう
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愚痴を言い続けるくらいなら環境を変えるしなあ、とも思う
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「今日こんなひどい目にあいました ガッハッハ」と軽くネタにすることはあっても、アイデンティティにはしない
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たとえば交通事故にあって下半身が麻痺したとしても「下半身麻痺の人」を大きく掲げて活動はしないと思う
- 本当のところは、実際にそういう状況になってみないとわからないけどね〜
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「かわいそうな自分」みたいなのをアイデンティティにしてしまうと、依存する未来が見えてしまう
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「そんな自分から脱却する」よりも「そんな自分であり続ける」を選ぶようになってしまうと怖いなって