草の根で文化活動をやること/“やっていき”のこと
From 草の根で文化活動をやること/“やっていき”のこと - 屋上より (2019-11-21 の投稿)
「やっていき」という語彙が、自分が想像しているよりも遥か遠くまで飛んでいっていておもしろかった。源流がいっしょかどうかもわからないけれど。
どちらも草の根で文化活動をする人たちの背中を押す発言だが、最近のインターネットでは、こういう精神性を一言で言いあらわす言葉をよく見かける。それが、“やっていき”である。出版や音楽イベントの企画をする人たちのあいだで合言葉のように使われていて、目に入るのは、頑張りましょうね、それぞれの“やっていき”を続けましょうね、と互いを励まし合う光景である。
“やっていき”とは、端的にいってどんな意味合いだろうか。明文化されているところを見たことはないが、ためしに言語化してみると、「文化をつくるうえでのハード面の課題──知名度が低い、過疎地で企画をしている、行政の支援を得られない、観客がいない、資金がない等々──を抱えながら、課題をソフト面の努力で埋める、そしてそれを自主的に行う試行錯誤」を指すのではないだろうか(違ったらごめんなさい……)。
解釈して、言葉にしようとしていて、とてもいい。
ただある意味で、「地方で文学や哲学の拠点となる場をつくる」という志のもとに成立した書店は、世の中で求められる以上の文学や哲学を供給していることを意味する。そこには背伸びや摩擦があるわけだが、まさにその点こそが重要なのだ。
なにが言いたいかというと、その逡巡(あるいは摩擦、あるいは背伸び、あるいは“やっていき”)こそが「観客の創造」、ひいては文化の創造につながっていくということだ。むしろ逡巡が全くないのなら、それはある意味でただ需要に応えた供給であって、自分のなかで新しい価値をつくりだしたとは言えないかもしれない。
「顕在化した需要に応えて供給するだけでは、創造にはならない」という話。少しハッとするような気持ち。
ということで、各々おもしろいと思うことを、誰に頼まれるでもなくやってみましょう。一人でやってもいいし、心意気の合いそうな友だちがいるなら誘ってみましょう。はじめてみるとその続きが見えてきて、いつのまにか遠くまで行けるかもしれません。
めっちゃいい。
“やっていき”ましょう。
はい!
「草の根で文化活動をしている」というつもりは自分自身にはなかったけれど、ソフトウェアエンジニアのコミュニティはここで言及されている活動にじゅうぶん該当しそうだな〜と思ったりもした。