数年後にやってくる罪悪感

#2018-12-18 #エッセイ

短期のアルバイトも含めると、ぼくはこれまで十数の現場でのお仕事を経験したことになる。たぶん 20 には届かないけれど、それに近いくらいの数の現場に身を置いてきたはずだ。

先日、ふと、昔の現場で上司 (というか、その現場でぼくに作業指示を出す人) から指示を受けてこなしたぼくの仕事が、2018 年 12 月のぼくの価値観でいうと「やるべきではないこと」に属すのではないか、と思うに至った。なにも、今になってわざわざそんなことを思わなくていいのに、とは思うけれど、胸の奥の方からほんのりと湧いてくる罪悪感に気付かないふりをするのはなかなか難しい。

今の自分であれば、そんな指示を出してくる現場に人生を依存させずに済む、とかそういった要因もあるし、自分の中でそれなりに形が見えてきている価値観と照らし合わせて「ぼくにはそれはできません、お断りします」と言えるだろう。多少の金銭のために心を汚すのは割に合わない仕事だと経験から学んでいるからだ。


子どもを利用したなにかしらのキャンペーンが非難されているのを見たことがある。たとえば「漫画を燃やす」みたいなやつ。その子どもたちが大人になって自分の感覚でその行為の意味を理解できるようになったとき、深く傷ついてしまうケースがある、と。自身の価値観を広めたい大人が、まだ価値観が定まっていない子どもを利用してなにかをさせるというのは、本当に慎重にやらねばならぬと思う。

ぼくのようにあとになって傷ついてしまう人が、ひとりでも現れてほしくない。