「痛い」や「NG」などという類の呪い

#2018-08-18 #エッセイ

痛いファッション特集になぜ需要があるのか|犬山紙子|note

だからと言って「こういうファッションは痛い! NG!」って言うのに私は反対だ。だってそれ、呪いだもの。こういう呪いが世に蔓延したら好きなものを好きに着れなくなるし、そんな呪い今かけなくてもとっくに世には呪いが蔓延している。普通に身近な人から「もうアラサーなんだからミニは履けない」とか聞く。そんな呪いはいち早く消え去って欲しい。

ぼくも、マウンティングのための「◯◯は痛い」「◯◯は NG」というのが苦手。「初デートで◯◯に行くのはナシ」ってやつも同様に苦手。各自が好きにやればいいと思っているので、マウンティングのためのべき論は消え去ってほしい。ぼくは「男だから」という理由で男らしいとされる行動を選んだりしたくないし、奥さんをよろこばせるために「女の人がよろこびそうなこと」よりも「奥さんがよろこびそうなこと」をしたい。自分とちゃんと向き合え、相手とちゃんと向き合え、という気持ちがぼくの中になるのだと思う。

しかし、世の中を見ているとマウンティングはあふれていて、簡単になくなりはしないのだろうなぁと思う。「マウンティングやめろ」というのは、それ自体がマウンティングになってしまう可能性を含んでいるのがむつかしい。

ただただスルーするのがいいのだろう。完全に無視することでマウンティングを無効化していきたい。