杜氏のいない「獺祭」、非常識経営の秘密
#2018-05-28 #文献
杜氏のいない「獺祭」、非常識経営の秘密 | 食品 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
酒造りは、伝統的に杜氏という職人文化によって支えられてきました。獺祭では杜氏がいない体制で酒造りをしており、優秀な杜氏がやっていたことを集団でやろうとしています。その中で、さまざまな形で酒造りの中でデータによる管理を行っています。
今のような造り方は1999年の冬の造りから始めて、最初の3年ぐらいでだいたいの形ができ上がりました。伝統的に杜氏がしてきた酒の分析やデータ解析を、社長である自分がやるようにしました。しかし、社長の自分がずっとやるわけにいかない。そこで、3年目にパートの女性をひとり入れて、データの解析をその女性にお願いしたときから、今の形ができあがりました。
酒造りは、タンクの中で糖化(米を溶かしてブドウ糖にする)と発酵(ブドウ糖に酵母がついてアルコールになる)が一緒に走っています。だから非常に難しいし、明日がどうなるかなんてわからない。
欧米の文明はどうしたかというと、たとえばビールでは糖化と発酵を分けて、数値化できる=明日の判断ができるものにした。じゃあワインはどうかというと、最初からブラックボックス化して、どこまでも「ロマンの世界」にもっていって付加価値をどーんとつけた。
経営者としては、会計的な数値などデータを見て判断することはもちろん大事です。ただし、企業がある程度伸びて行くためには、危ない橋を渡らないといけない。健全企業で、投資も安全な水準、人件費も原材料費も安全な水準、であったら、いずれ安楽死すると思います。どこかでバランスを崩したところがないと無理だと思う。そのときは「わからないけどやるしかない」し、それ以上に経営者としての「やりたい」という意思や欲望ようなものが強くなければ、勤まらないのではないでしょうか。
たとえば、獺祭はメルセデスベンツのファッションウィーク東京の公式スポンサーになっています。獺祭以外はメイベリンニューヨークやDHLなど、企業規模で考えたら明らかにケタが違う。これをなぜ受けたかというと、ひとつには、お酒とファッションは「必要のないものだけど人生に潤いを与える」という意味で、非常に親和性があると思ったこと。もうひとつは、主催者から話を聞いたときに、ここでうちが出なかったら、何十年経っても日本酒業界にはもうどこにもいかないだろうと思ったからです。
しかし、私自身が街頭に立って募金をお手伝いするかというと、それはちょっと違う。私たちは、企業の生業を持って社会に貢献すればいいと思っている。獺祭という会社が、酒を造ることによって地域や社会にお返しできるものがあるんじゃないか、というのが大きい。ユダヤの教えはこういうことを言っているのだろうなと思っています。
データを成果につなげる大事なポイントは「意思」でだと思いますよ。先ほどは「欲望」とも言いましたが、つまりは経営者がやろうとする思いを持っていること。その思いが、決して社会に対する視点を失っていないこと、また社員に対して不利益をもたらさないことが重要です。