社会の変化が早くて怖い

#2018-05-26 #エッセイ

以前に行った和食屋さん、おそらく数十年くらいは続いているお店だと思う。そういう雰囲気。

総大将みたいなジイさんが厨房にいて、その人は偉そうにしている。他の料理人たちに指示を出すし、できあがったお料理を運ぶ係の女性たちには特に厳しくあたっているように見えた。たぶん男尊女卑の世界観の中で長く過ごしてきたのだろう、と想像させる言動なのだ。少なくともぼくにはそう見えた。雑に言えば「昭和の男」と呼べるのだろう。

そのジイさん、どれだけ料理の腕が立つのかは素人のぼくにはわからないのだけれど、厨房で煙草を吸いながら包丁を握るんだよね。それがイヤで、その和食屋さんに対していいイメージを持てなくなってしまった。煙草臭い料理が出てくるんじゃないかって心配が強い。事実、喫煙シーンを見てしまってから、ぼくはその店にぜんぜん行かなくなってしまった。いちばん偉いであろうジイさんのふるまいによって離れてしまった客がいるのだ。

これが 10 年前や 20 年前だったら、喫煙に対してなにかを感じたりとやかく言ったりする客はほとんどいなかったのかもしれない。ここ数年で日本社会の喫煙や喫煙者に対する風当たりは大きく変わってきた。飲食店は全面禁煙を採用するところも増えてきた。

あのジイさんからしたら、びっくりだと思う。今まで特に問題とされてこなかった自分の行動が、急に問題視されるようになったのかもしれない。


セクハラとかパワハラとか、残業とか、大相撲のあれこれとか、アメフトのあれとか、昭和から蓄積された膿の大放出という印象だ。いちおうぼくのスタンスを示しておくと、いろいろとよくないからどんどん是正されたらいい、と思っている。

しかし、だ。ぼくはぼくなりに倫理観をもって周囲と接するように努めているつもりではあるけれど、世間の価値観と大きくズレていないという確信などほとんどない。「たぶん、大丈夫なんじゃないかな…?」くらいの感覚でなんとかやっている。社会で起きる種々の問題を眺めては、なにが OK でなにが NG なのか境界線を探ろうとはしている。

でもなあ、正直やっぱり怖いな〜と思う。特に老後。2018 年の自分が「うんうん、こういうときは、こうだな」と培っているつもりのものも、20 年後にはどうなっているかわからない。60 歳くらいまでがんばっていろいろを積み上げた果てに、なにかをやらかして「大和田さん、今はそういう時代じゃないんですよ」と告げられて社会的に即死してしまうのかもしれない。

どうすればぼくは、今この瞬間から死ぬまでの間、世間から大きくズレることなく生命を継続できるのだろうか。これから先、だんだんと老いていっても、社会の価値観の変化に敏感でいられるだろうか。そんなことを考えると、たまに、すごく怖くなってしまうのだ。