正しかったのではなく、効果的であった

#2018-05-24 #エッセイ

ランドがおもしろくて 1 巻から 6 巻まで勢いよく読んだ。いろいろと考えさせられておもしろい。

飢饉のときに村人を生贄に捧げるの、2018 年を生きるぼくからすると「それで飢饉が解決するわけじゃないじゃん」ってなっちゃうし、実際のところそれで飢饉が解決したわけじゃなかったと思うんだけど、村人たちの心がいくらか楽になる効果はあったんだと思う。それが科学的に正しいかどうか、じゃなくて、そうすることで間接的にでも暴動が抑制されるとか、そういう効果があったのであれば、効果はあったのだ。

奴隷をたくさん抱えている人ほど力があってすごい、っていう価値観も、やっぱり 2018 年の日本を生きるぼくからすると「奴隷よくないじゃん、解放しようよ、アルスラーン殿下みたいにさ」って思っちゃうところはあるけれど、奴隷制度のおかげをもってして文明が進歩した時代はあったということになるのだろう。それがなければ人類は今日 (こんにち) の文明の中にいないかもしれない。だから、奴隷制が正しかったのかどうかではなく、ある軸において効果的であったということになる。

たとえば数十年先の未来に、人々がお金に困ることはなくなっていたとして、誰でも十分な衣食住を与えられて生きていけるようになったとしたら。その未来から過去をふりかえってみたときに、昔の人はお金のトラブルが原因で殺人を犯してしまったりしたんだよ〜というお話を聞かされて、昔の人はよくわからないね、ってなるのだろう。ぼくが生贄とか奴隷とかに「んっ」となるように、未来の人は金銭トラブルに対して同じようなことを思うのだ。

別に、資本主義社会が正しいわけじゃない。ただ、ぼくが生きるこの時代において、資本主義が効果的になにかを成し遂げているというだけなんだ。この時代において、お金はたしかに効果的に人々を動かし、ぼくらはお金のために上手に踊っている。