2025-09-29 Mon #2230 あなたの長文は何文字から?
#09月29日 #2025-WN40 #2025-09-29 #2025年09月
生活
午前、妻が動けそうだったので「カフェでも行くか」となった。
そのあと近所をお散歩。チョウチョウのペアがずっといっしょに行動していておもしろかった。目で追ってしまう。
ちょっと脇道に入っていってみたら、人間の手があまり入っていなさそうな木々のエリアにつながっていてわくわくした。ちょっとした冒険気分に味わえるお散歩だ。
週末にホクホクとした時間を過ごしたので、そのテンションを保全しておこうと思って純朴声活を録った。
(167) 京都のライブハウスで - 純朴声活 - LISTEN
ウェブに公開されているショートショートを、MacBook の画面で読んだ。ためしに文字数カウンタにかけてみると約 2,000 字ってところだった。原稿用紙 5 枚だね。これを「長い」とするか「短い」とするか、現代日本人の間ではけっこう割れるな〜という感覚がある。
ひとつには、デバイスの違いがあると思う。スマートフォンで読む人からすると、画面をまるまる覆い尽くすだけの文字数があればじゅうぶんに「長い」と感じがちっぽい。わしのような「モバイルも使うけれど、ラップトップやデスクトップの大きな画面をよく使う」人は、対象の文章が画面に占める割合は低くなるので、相対的に「短い」と感じるだろう。
あとは、ふだんどれくらいの量を文字を読みながら生活しているか、だよねえ。ショート動画を次々に再生して楽しむ習慣があるとしたら、ひとつのページに留まって 5 分間かけて文章を読む、ってのはリズムがぜんぜん合わなくて「長い」と感じても不思議はない。
個々人がなにかを「長い」と感じても「短い」と感じても、ご自由に、という感じだけれど。ズレを感じるのは、コミュニケーションにおいて「長文で失礼いたします」的なフレーズが添えられるとき。せいぜい 500 文字くらいの文章を指して「長くなっちゃって…」と言われるとぼくはびっくりしちゃう。長さの感覚はぜんぜん共通認識がないな、と捉えているので、もう長さについては触れずにコミュニケーションを取るようにしている。
複数箇所で同時多発的に触れているのでリンクを貼るのはあきらめちゃうんだけど。いわゆる「中年男性の孤独」系の話題をあれこれ見聞きしているうちに、だんだんとわからなくなってきた。もともと興味はあって「うんうん、そういうところがあるよな」と思いながら自分の中のゆるめの探求テーマにしていたものの。具体的に語られているエピソードなんかを見聞きすればするほど「これ、自分はあてはまらないね」というものが増えてきて、ぼく個人としては「はて…?」になってきちゃった。
妻からは「あんたは精神が中性的」と言われることがあって、どれくらい妥当な評価かはちょっとわからないものの、あんまり「オスだけで群れをなす」感じはなかったりして、友だちもけっこういるし、孤独も感じていない。自分には当事者性がないのかも。というわけで、当事者として困っているような身近な中年男性がいたら情報を採取させてもらうようなモードに切り替えていこうかな、と思う。
カレンダーを開いて、年内の予定を組み立てる。遠出するものについては、妻と指差し確認しながら移動と宿泊の手配をやっていく。大阪の家に住むようになって、東海道新幹線で「新大阪駅 ←→ 東京駅」を移動することは何度もあったが、まだ飛行機には乗っていないのだった。航空券をどのように手配するのが得策なのか把握していないので手探りで進めていった。
10 月、11 月、12 月とそれぞれ少しずつ遠出の予定があるので、妻の調子は注視しつつ、自分の健康を維持して楽しく 2025 年をやっていきたい。いろいろと楽しみ。