2024-07-29 Mon #1803
父親にいっぱい話しかけてきた

#07月29日 #2024-WN31 #2024-07-29 #2024年07月

生活

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朝、札幌市内で目覚める。時間に余裕があったので MORIHICO.コーヒーパンをやっておいた。

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聞くところによると、昨晩にから妻に個別の LINE の連絡があったようだ。「兄はまわりの人のことを心配してくれているが、兄のことも心配なので、ケアしてやってくれ」的なことを妻に伝えてくれたみたい。うちのはこういう声かけをしっかりできる人で、素敵だと思う。

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きのうの夜に集まったメンツでまた集まってランチに行こう、ってことで 7 人で RAMAI へ。ぼくより札幌に詳しい人たちがお店のチョイスなどをやってくれるので助かる。ぼくは RAMAI の利用は初だな。スープカレー、とてもおいしかった。

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テセウスの船」みたいな意味で「ギャルの曽根」の話をした。すでにギャルでも曽根でもなくなってきているギャル曽根という概念のことを考える。

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病院に行くまで、まだ時間の余裕がある。大人 7 人で時間を持て余す。スープカレーを食べてみんな満腹だし、カフェに行ってお茶する感じでもないか。ってことで、フードコードのあるイオンにでも行って過ごそうってことになった。

上階にある駐車場が混んでいて、なかなか入っていけない。登り坂の途中で待たされるので「マニュアル車だったら、坂道発進が面倒だねえ」という話をする。うちの妻は坂道発進のことを知らなかったのでみんなで説明した。そうこうしていたら、もう 1 台の車から電話がかかってきて「混んでるね〜」「もうちょっと待つことになりそうだね」と話す。そしたら電話の向こうから「坂道発進が〜」と聞こえてきて、こちらの車内のみんなで笑った。

北海道内のイオン、さらっと六花亭が入っていたりするのですごい。

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さてさて、本日のメインイベントである、病院での父親との面会。「週に 2 人まで」という厳しめの制限があるらしく、今週のその枠はぼくたち夫婦に割り当ててもらうことになった。「わざわざ松本からきてくれているから」とのことで。先に母親が会いに行った方がいいんじゃないの、などの話はきのうの時点で済んでいる。母親は「病院まで救急車でいっしょにきたし、来週にもこれるから」と言う。

きのう、手術が終わった時点で「命に別状はない」と説明を受けていた。とはいえ HCU に入っている状態で、会話などはできない状態。HCU (高度治療室) ってのは ICU (集中治療室) が必要ってほどじゃない状況の人がお世話になる場所、という理解。「ICU → HCU → 通常の病室」って感じで、退院に向かう段階があるみたい。

ぼくは HCU と呼ばれる場所に入るのも人生で初めてだし、緊張しながらそのときを迎える。

ベッドに横たわっている父親は、ぼくが想像していたよりは元気そうだったな〜。元気というのは変な話で、こちらから一方的に話しかけるしかない状況なので、今後どうなっていくのかぜんぜんわからないのだけれど。でもぼくは「元気そう」と感じたのだった。体は一生懸命に呼吸を続けていて、顔色も悪くないし、外傷がほとんどないから「元気そう」と感じたのかな。面会が許されているのは 15 分間のみ。手で体に触れてみたり、トントンとリズムを送ってみたり、いっぱい話しかけたりした。ぼく以上に妻がたくさん話しかけてくれて本当にありがたかった。

きのう、松本から飛んできたよ。今日はじゅんとまみが会いにきたよ。なるべく病院の近くに、と思ってすぐそこのホテルに泊まったよ。あっちには母さんも弟たちもいるよ。帯広からおばちゃんたちもきているよ。妹たちもすごく心配しているよ。痛くない?苦しくない? と、聞こえているかはわからないとしても、なるべくこちらの状況を伝えようと努めた。

途中、口のあたりと腹筋のあたりが少し動いて、なにか話そうとしてくれている!?となった。意識はあるけど体は思うように動かせない、という金縛りみたいなパターンもあるのかなあ。わずかに開いている左目は、こっちを見てくれているようにも感じたんだよな。

あっという間に 15 分が経過してしまい、係の人がきて「そろそろ…」と告げる。妻が「やだ!」と食い下がる。もし父親の意識はあってぼくらの姿は見えていて声も聞こえているとして。次の面会の予約を入れられるのが来週なのがつらすぎる。ひとりで 1 週間もがんばらなきゃいけないとしたらつらすぎるでしょ。それよりは「ずっと眠くてウトウトしている」みたいな状態だったらいいな。そんな願いばかりが浮かんでくる。

結局 17 分間くらいはあの場にいたのかな。HCU を出て、待っている家族と合流する。妻がワーッとしゃべってみんなへの報告をやってくれた。そのあとお医者さんからもちょっとした説明があって、きのうに比べて呼吸も安定してきている?とかなんとかで、ポジティブな情報が増えた日だった。ありがたい。

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病院をあとにして、とりあえず解散。ぼくと妻は、帯広のおばちゃんといとこの車に乗せてもらって宿泊先のホテルまで移動した。母親弟1弟2は、また別の場所へと向かっていった。

きのうの午前に連絡を受けてから「わからなくて不安!」という感じだったけれど、面会父親と会ってきたことで「今はこういう状態」がわかって、自分が抱えていた不安の一部が解消されたようだった。がんばっているであろう父親に元気を渡すつもりで会いに行ったのに、むしろ父親がぼくらを元気にしてくれたんじゃないか、という感覚。不思議。

ホテルにチェックインして M2 MacBook Air 2022 をいじっていたが、疲れ果てて寝落ちしてしまう著者の様子。妻が撮影。

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夜、札幌の街中で海鮮を食べた。きのうから気持ちが忙しくて疲れちゃったので「ひさしぶりに酒でも飲むか!」と日本酒を一合いただいた。とにかく、みんなの心が少しでも穏やかであってほしいなあ。祈るしかできない。

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ホテルに戻ってのんびりと過ごしていたら、帯広に帰っていったいとこから着信があった。このいとこは学年がぼくのひとつ上で、幼少期からずっとぼくの面倒を見てくれている「兄」に近い存在。うちの父親からみるとだね。どうやらぼくのことを心配してくれているようで、たくさんの言葉をくれた。ありがたい。うちの両親や親戚のみなさんが良好な関係を維持してきてくれたおかげで、こういうときにお互いを気にかけて行動できるんだなあ。すごいことだ。

そのあと、ぼくからに声をかけて通話した。ぼくはこっちにきて父親に会えたことで気持ちが前に進んだ感じがあるけどさ、そう思えば、まだ札幌にこれていないのことは心配だった。札幌で集まった 7 人は身を寄せ合ってケアの時間を持てたので、その輪に少しでもを巻き込んでいきたい。面会に行かせてもらったぼくらからに伝えられることはあるだろう。ぼくと妻とでおしゃべりしていて、途中からの夫さんも参加してくれて 4 人であれこれ話した。結局 1 時間くらいはしゃべっていたかな。穏やかな時間だった。

との通話を終えて、そのままベッドの上で過ごしてやがて眠りに落ちていった。

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7月29日の日記